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コラム

更新日:2010.3.31

憲法に未来はあるか?

『日本辺境論』(新潮新書、2009年)、『差別と日本人』(角川oneテーマ21、2009年)、『葬式は、要らない』(幻冬舎新書、2010年)など、日本文化を論じる新書が売れています。
アメリカ発の経済不況の影響からなのか、世界標準を後追いする思考パターンに行詰りを感じる人や、日本の文化や歴史を問い直そうとする人が最近は多いのかもしれません。
話は変わりますが、日本国憲法改正をめぐる論議が政権交代以降下火になったとはいえ、メディアをにぎわせています。これまた戦後の日本社会で論じられてきたテーマですが、日本の社会や人々の価値観が揺れ動くいま、憲法をどう考えればよいのでしょうか。
このたび小社では、憲法の新しい教科書『憲法とそれぞれの人権』を刊行しました。
本書の最大の特徴は、人権を侵害される側から論じる点です。もともと近代ヨーロッパで絶対王政に対する市民の要求をきっかけに議会と裁判所と行政の間で抑制と均衡が制度的に確立されました。つまり、憲法は人権を守るために生まれたという歴史があります。もちろん当時の人権の内容は限られていましたし、世界中で人権の理念がいきなり実現したわけではありません。明治期の日本人は盛んに人権の理念を取り入れようとしましたが結局挫折し、アジア・太平洋での悲惨な戦争体験を経てようやく日本国憲法のもとで人権が確立しました。現在、日本国憲法は外国人の人権保障をはじめ様々な課題を突き付けられてはいますが、人権の理念を受け継ぎ、平和主義を規範として打ち立ててきています。
ところが、制定当初から日本国憲法は占領国アメリカによる「押し付け憲法」だという主張が繰り返しなされてきました。そこで本書は憲法とは何か、憲法改正のねらいは何かを考えます。改憲を主張するメディアや政党は、平和主義条項の改定とともに日本国憲法が環境保護などの時代の要請に合わなくなったことを盛んに主張します。しかしかりに、環境保護が憲法に明記されたら環境問題はすぐに解決されるのでしょうか。保証のかぎりではありません。足尾鉱毒事件での田中正造の行動から関西水俣病訴訟最高裁判決までの歴史をひもとけば、たとえ環境権の条項がなくても、人権保障を求めた被害者のたたかいと法の解釈・立法を通じて一定の範囲で環境が守られてきたことがわかります。
この5月に施行予定の憲法改正国民投票手続法は、18歳以上の者による投票を規定しています。将来大学に入ったばかりの学生が憲法改正国民投票にかかわる可能性もでてきました。彼ら・彼女らは“憲法=三大原理”と計算式のように考える人ばかりではないでしょう。ただ高校までの憲法教育で、平和や人権といった価値・規範を教えるにとどまらず、学生が主体的に責任をもって社会にかかわるような授業がどこまで行われているのでしょうか。本書は豊富な資料やコラムを交えて憲法の基礎をおさえ、具体的な人権状況(官舎や団地の集合ポストに政治ビラを入れて有罪と判断された事例、身に覚えのない罪で逮捕され自白まで追い込まれた事例、生活が困難であるにもかかわらず最低限度の社会保障を打ち切られた事例)をふまえ、憲法でいま何が問題になっているのかを論じています。
憲法は「ある日突然」外国からもたらされたものではありません。憲法の未来は、日々の生活で当たり前に行使している人権を護り育てる「不断の努力」にかかっています。


憲法とそれぞれの人権

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