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コラム

更新日:2007.8.31

追悼 小田実氏

7月30日に小田実氏が逝去されました。小田実・木戸衛一編『ラディカルに〈平和〉を問う』(2005年、小社刊)の編者として、刊行に際しては大変お世話になりました。享年75歳でした。ご冥福をお祈りいたします。追悼の意を表するため、当書の簡単な紹介と氏の御活躍について触れます。

当書は、編者のコーディネートのもとで大阪大学にて開催された講義が下敷きになっています。平和と戦争についてあらためて根源的に考えてみようという趣旨で編者のほか、加藤周一氏、ダグラス・ラミス氏、土井たか子氏の講演を1冊にまとめたものです。5氏の体験に基づいた平和へのメッセージが込められています。特に、小田氏の収録部分には、以下で触れる小田氏の権力への体当たり的な活動への熱い思いが述べられています。ご一読をお薦めします。

さて、小田氏の御活躍を振り返ってみたいと思います。
作家小田実の論壇デビューは、世界各地を回って綴ったエッセイ『なんでもみてやろう』(61年刊)がベストセラーになったのがきっかけです。その後、69年から70年にかけては、哲学者の鶴見俊輔さんらと米軍のベトナム北爆に反対する市民団体『ベ平連』(ベトナムに平和を! 市民連合)を結成し、かつその運動を牽引しました。また95年には、阪神・淡路大震災の被災者として、なにもしてくれない政府や国会に、その怒りをぶつけ、市民のための市民による立法を企て、政府を突き動かしました。この運動は、氏が代表を務めた「市民=議員立法実現推進本部」を中心に「市民立法」提起するものでした。それがきっかけとなって、98年に不十分ながらも震災時の公的援助の法律が成立しました。また90年代以降、「戦争ができる国」になろうとする政府の動向へ反旗を翻すために、加藤周一氏らとともに、「九条の会」を結成し、護憲運動を全国へ浸透させました。

『ラディカルに〈平和〉を問う』でも触れていますが、氏の活動の原点は、先の大戦での自身の大阪での空襲体験にあります。1945年8月14日、日本政府が「国体護持」に固執しポツダム宣言受諾をためらうなかで、米軍は大阪に最後の空襲しました。当書には、大阪大空襲を報じたニューヨークタイムズ紙の写真も収めています。

氏は、常に「行動する作家」であり続けてきました。運動や講演を行いながら、小説、評論、対談、全集、文庫本と、全著作数は100を越えます。戦後一貫して、市民(=「小さな人間」)の立場で、国家権力に楯突き、また、人々を巻き込み、人々に勇気を与えてきた氏の存在は大きなものでした。「戦争」や「戦後」が時とともに風化していくと言われていますが、氏の果たしてきた市民の立場での平和と護憲の運動や、反権力の反骨精神は、氏と同じ志をもった人々(「小さな人間」たち)によって、継承され続けることでしょう。

なお、小田氏のこれまでの御活躍の詳細については、氏のホームページhttp://www.odamakoto.com/jp/にて公開されていますので、そちらをご覧下さい。


ラディカルに〈平和〉を問う

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