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いまなぜ、防空法なのか?
劇中のセリフ「じぇじぇじぇ」が昨年の流行語大賞に選ばれ、数々の社会現象を巻き起こしたNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』。その陰に隠れてすっかり忘れられているかもしれませんが、2011年4月から10月まで放送されていた『おひさま』というドラマを覚えていらっしゃるでしょうか。戦前、戦中、戦後をひとりの女性の目をとおして描いた一代記は、人びとの涙を誘うとともに、いまはもう忘れられつつある戦争のおそろしさを教えてくれた番組でした。
わたしには、このドラマのなかで忘れられないシーンがあります。ラジオの前で正座し、いわゆる玉音放送に聴き入ったその日の夜、家の外に出た主人公が、煌々と光る街の電気を見て立ちすくむシーン。そこに「ああ、戦争が終わったんだと思ったわ」というナレーションが入ります。終戦のその日に街が燈りであふれたか否かは定かではありませんが、戦争を知らないわたしには、衝撃がはしりました。暗い夜に煌々と燈りがともされる。このシーンは、そんないまではあたりまえの風景も戦争中には許されなかった、という事実をあらわした象徴的なシーンであったように思います。
ではなぜ、戦争中は夜間に燈りをともすことが許されなかったのでしょう。みなさんは、「防空法」(1937年4月5日法律第47号)という法律があったことをご存じでしょうか。この法律は、防空業務として、燈火管制、消毒、防毒、避難、救護と、これらの実施に要する監視・通信・警報を規定し、燈火管制実施時に限り、国民に燈火を制限する義務を負わせるものでした。さきの燈火統制の根拠はこの法律にあったわけです。また、この施行によって、国民に「防空思想」を浸透させることが重要な目的のひとつとして設定されていたといわれています。隣組などの自衛防空組織に過剰な任務を与える根拠を与えたこの法律は、都市から地方へと逃げ出す群衆の発生を抑制しました。さらに1941年には退去禁止と消火義務の規定が制定されました。防空訓練と燈火統制への協力義務とが中心であった防空法が、空襲の猛火からも逃げてはならないというにわかには信じがたいおそろしい法律へと変容していったのです。国家が国民に対して、罰則規定をももつ義務的なかたちでです。その結果、多くの国民が命を失い、被害を拡大させたことはもはやいうまでもないことでしょう。この国は、戦争をつづけていくために防空法という法律を使ったのです。
このたび、小社では『検証 防空法――空襲下で禁じられた避難』を刊行いたしました。本書は、わたしの編集者としての育ての親のひとりと言っても過言ではない(くわしくは、2010年7月6日更新の当HPコラム『18歳からはじめる憲法』編集雑感)早稲田大学の水島朝穂先生と、大阪空襲訴訟弁護団のほか市民のための法律家としてご活躍中の大前治弁護士との共著で編まれたものです。前著で編集実務を担当させていただいて以来、いつも憲法にかかわる多岐にわたる問題についての情報を提供してくださる水島先生。ふだんは刑事法や社会学を勉強し担当しているわたしは、憲法についてはどうしても不勉強になりがちで、とても重要な視点を与えていただいています。本書もそのような水島先生の情報提供のなかから生まれた1冊といえます。
そうはいっても、いまなぜ、防空法なのか。いぶかしくかんじられるかたもいらっしゃるかもしれません。しかしながら、現在、特定秘密保護法をはじめ、戦前・戦中に逆戻りしたような立法がつぎつぎに整備されています。福島原発事故への「対策」にもこの防空法に似た思想がひきつがれているようにさえかんじられます。ほかにも生活保護法の改悪など、弱者を切り捨てつつも、ひとり再チャレンジを果たしたこの国の総理。かれを中心に、徴兵制までをちらつかせて戦争をする準備をしているかのような情況をみれば、この防空法の「検証」がいまこそ求められていることがおわかりになろうかと思います。危険な立法のみならず、憲法が壊されようとさえしている日本社会において、いまなにが必要なのでしょうか。防空法制にかんする膨大な資料を入念に下調べしてまとめあげた大前弁護士と、深淵かつ軽妙なテンポでくりひろげられる水島先生の解釈とが化学反応を起こした本書は、その根底にある共通の危うさを示唆してくれることでしょう。戦後、はじめて本気で戦争をしたいと考えているといわれる安倍晋三総理に、きちんと“No”をいえる世の中でなければなりません。「逃げるな、火を消せ」と不可能を強いられた防空法を検証することで、現在の日本社会について冷静に考える契機にしていただければ望外の喜びです。
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