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「体罰」の法社会学的分析による問題提起
『体罰はいかに処分されたか−行政文書における体罰と処分の研究−』が今月刊行されました。本書を手に取ると、カバー表紙のジグソーパズルのような図柄にまず気づきます。この複雑な図柄は、著者の、「体罰」現象を解明する作業に対するイメージをあらわしているようです(「はしがき」を参照)。
ひと昔前は、教師が指導の一環として生徒のために「体罰」を行うこともありうるとされる風潮もありましたが、近年は、子どもの人権を尊重する視点から「体罰」を人権侵害として捉える傾向が強くなっています。ですが、そもそも学校という空間における「体罰」がどのように発生し、また体罰を行った教員はどのような手続きで処分されているのでしょうか。
著者は、従来の議論においては、学校内部の自律的な秩序を守る教職員組合と、学校外部からの管理を重視する教育行政との二項対立的な観点から「体罰」が捉えられてきたことに疑問を感じ、「体罰」現象を法社会学(主としてルーマンの法システム理論)の視点から解明しています。
検討材料となっているのは、情報公開請求による膨大な行政文書です。行政文書の事案からは、教員の一方的な「体罰」だけではなく、「体罰」に至る前の教員の指導に対する子どもの受け止め方の複雑さの問題が明らかになります。ほかにも、「体罰」の直接の当事者ではない、親や校長、PTAなどによる関与が、「体罰」の発生、捉え方、処分にさまざまな影響を与える実態が浮かび上がってきます。 伏せ字の多い行政文書を読むと、すべての「体罰」事案が適正に処分されたわけではないこと、また、学校といういわば閉ざされた空間のなかで起きる「体罰」にかかわる当事者の手続き保障の不備がみえてきます。
子どもの人権を尊重する視点からは、「体罰」を禁止し教員を処分すれば、問題が解決すると考えられがちです。しかし、著者は、社会における自律的な存在である学校の法的しくみ(「体罰」を受けた子どもの教員による指導の受け止め方を含む事実の検証手続き、「体罰」を行った教員の処分に関する事前の聴聞手続き等)を整える必要性を訴えます。
「体罰」現象を通じて学校の抱える法的問題を一歩踏み込んで考えてみたいという教育現場の方に本書の一読をおすすめします。
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