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コラム

更新日:2011.12.09

オウム事件の決して語られない舞台裏

ある日の昼下がり、会社の代表番号に、I と名のる年配の女性から電話がありました。内線をつうじて電話をとったわたし。この人物に思いあたる知人はいません。だれだろうと怪訝に思いながら電話をとりました。
「あの、とつぜん、すみません。わたし、『被告人の事情/弁護人の主張』という本で、お世話になった I の母です」。
すぐに事態を把握することはできましたが、「なんで!?」というのが正直な気持ちでした。I さんというのは、オウム真理教のある事件で死刑判決を受けた人物です。じつは、この I さんとは、面識はありませんが、遠からぬご縁に恵まれていたのです。
小社は、裁判員制度がはじまった2009年5月21日に、村井敏邦・後藤貞人編『被告人の事情/弁護人の主張――裁判員になるあなたへ』という書籍を刊行しました。そのなかに、I さんの下級審において弁護人をつとめられた神山啓史さんの論考が収められていたのです。この論考は、訳あって最高裁の弁護人にはつかれなかった神山さんが、もし弁護をされていたら、このような主張がされたであろうということを含めて、死刑事件にかんする問題点をお書きいただいたものです。この論考が、巡りめぐって、I さんご本人の目にもふれ、たいそう喜んでくださっているということは、かれの支援者のかたをとおして聞いてはいたのですが、まさか刊行から2年が経過した今、お母さまからご連絡をいただけるとは思っていなかったので、とても驚きました。
「もっとはやくにお礼を申しあげなければならなかったのに、すみません。その節は、いい本を出していただいて本当にほんとうにありがとうございました」。
何度もなんどもお礼を言ってくださるお母さまに、まだまだ人生経験のすくないわたしは、かける言葉も思い浮かばず、ただただ恐縮するばかりでした。
それから数ヶ月たった11月21日。地下鉄サリン事件から数えればすでに16年の月日が経過したこの日、オウム真理教をめぐる一連の刑事裁判が終結しました。新聞各紙は、それぞれの社説でこの事実を論評しました。
いずれも、一連の事件で、多くの被害者が出て、裁判が長期にわたったこと、事件を風化させず語りつぎ再発を防がなければならないこと、が強調されていました。ある一面では、もっともな見解です。じっさい、法律も世間の犯罪に対する見方も随分かわりました。
しかし、16年も経てば、事件は風化します。わたしも含め、当時、小中学生だった人が、オウム事件の担当になって記事を書いたりするわけですから、当然のことでしょう。この事件のある死刑囚は、つぎのように指摘します。
「(最近は)なぜ事件は起きたのかと何度も質問されます。取材内容が継承されていないと同時に、結局は何も解明できていないってことでしょうね」。
「事件を風化させてはならない」と指摘するマスコミ内部で、きちんと語り継がれていないということは、決して笑えない皮肉な事実です。
オウム真理教による一連の事件が、いずれも卑劣で、許されざるものであることにはかわりありません。しかし、かれらの多くは、自分は死刑になっても仕方がないことをしたと、心から自らの罪を悔いて反省しているといいます。本当はやさしい心をもった彼らが、なぜオウム真理教に入信し、なぜ犯行にいたったのか。一連の裁判では、ほとんど明らかにされていません。むしろ、その根本的な問題から目をそむけていたようにさえ思えます。
さきの『被告人の事情/弁護人の主張――裁判員になるあなたへ』では、そのような根本的な問題に目をそむけず、向き合おうとしています。オウム事件にだけではなく、どのような事件にも、報道では決して語られない、かれらなりの事情があります。裁判員制度が本格的に運用されはじめ、さまざまなことが議論されていますが、このもっとも本質的な問題には、未だ目が向いていないように感じられます。本書を手に、もう一度、冷静に「人を裁く」ということについて、深く考えていく必要があるのではないでしょうか。

(掛川) 

関連書籍

裁判員のための刑事法ガイド
(村井敏邦著/1995円(税込)/2008年)
刑事裁判の心〔新版〕
(木谷 明著/3780円/2004年)
被告人の事情/弁護人の主張
裁判員のための刑事法ガイド
刑事裁判の心〔新版〕

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