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「核兵器なき世界」への機運
2010年8月6日に広島で開催された平和記念式典には、65年目にしてはじめて潘基文国連事務総長、ルース米国大使をはじめとして英仏の代表が出席しました。いま核廃絶への機運が戦後最も高まっていると見られています。この大きな機運は、昨年のオバマ大統領による「核なき世界」宣言を端緒として、今年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議での成果という流れのなかでつくられました。再検討会議では、核廃絶への具体的措置を含む64項目の行動計画を盛り込んだ最終文書を全会一致で採択し、併せて「核兵器禁止条約」の必要性にも言及し、歴史的に大きな一歩を踏み出しました。
核廃絶へ向け、今年は確かに画期的な年となるかもしれませんが、一方で、なぜこんなにも核廃絶へ向けて時間が掛かっているのかをあらためて考える年となるでしょう。
ヒロシマに生きるぼくたちの使命は、過去の悲劇から学んだことを、世界中の人々に伝えていくことです。悲しい過去を変えることはできません。しかし、過去を学び、強い願いをもって、一人一人が行動すれば、未来を平和に導くことができるはずです。次は、ぼくたちの番です。この地球を笑顔でいっぱいにするために、ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ、伝えていくことを誓います。
これは、今年の平和記念式典での小学生の「平和への誓い」の一部です。聞くところによると、壇上で宣言をした小学生だけでなく、複数の小学生の意見を練り上げて「誓い」の文書をつくったとのことです。ここには、広島の小学生たちがいま受け止めている平和への熱い思いがつまっています。私は、生中継で見ていたのですが、涙があふれて止まりませんでした。その声の力強い響きと堂々とした勇敢な姿勢に感動したからなのですが、それ以上に、65年もの歳月をかけて、人類は、「過去の悲劇を学び」「行動」してきたにもかかわらず、いまだに核廃絶できず、小学生にあらためてこのように誓わせてしまうことへの憤りを強く感じたからです。彼らのメッセージのなかには、私たち大人が汲み取るべき「問い」が隠されていると思います。
ところで、小社では、「核」をめぐる著作を刊行しており、ここ10年間に刊行した著作の一部を以下にご紹介いたします。
『なぜ核はなくならないのか』(2000年)、『21世紀の核軍縮』(2002年)、『いま戦争を問う』(2004年)、『ポスト冷戦と軍縮』(2004年)、『核の時代と東アジアの平和』(2005年)、『危機の時代の平和学』(2006年)、『ナガサキから平和学する』(2008年)、『原子力の国際管理』(2009年)、『新・平和学の現在』(2009年)、『核は廃絶できるか』(2009年)などとなります。各書籍の詳細は、小社HPにてご覧下さい。
ここでは、現在刊行へ向けて編集作業を進めている2点の「核」をめぐる意欲的案著作を紹介いたします。1冊目は、木村朗教授とピーター・カズニック教授による共著『広島・長崎への原爆投下再考―日米の視点』です。原爆投下でもって、戦争を終わらすことができたという「原爆神話」を日米双方から批判的に暴いていく画期的な著作となります。なぜ投下する必要があったのか。「原爆神話」以外の歴史的な意図を明らかにします(今秋刊行予定)。またもう1冊は、翻訳書となりますが、アメリカの歴史学者、ローレンス・ウィトナー教授の著作『世界の反核運動史(仮題)』です。戦後の世界中のありとあらゆるミクロな反核運動をつぶさに考察し、世界規模のマクロな反核ダイナミズムを捉えるといった、こちらも労作となります(来春刊行予定)。
被爆者の方々をはじめとして世界中で進められてきた核廃絶へ向けての学びと行動が少しずつ実って、核廃絶へ一番近づくことが65年目にしてできたのだと思います。この機運をさらに高めるために、これからも私たちにやるべきことがあると思います。核廃絶にこれだけの時間を費やすこととなっているのは、市民1人ひとりの平和への祈りや行動をも越えて、国際関係のダイナミズムのなかに、私たちがいるからであることは言うまでもありません。
なぜ核がなくならないのかという「問い」に対して、あらためて大局的、複眼的、批判的な視点から学び、人類が一日も早く核廃絶を達するために、私たちが、そして日本政府が何をしなければならないのかを考えていくために、以上の本のご一読をお薦めいたします。
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